2019年8月15日放送の「直撃!シンソウ坂上」にて高嶋ちさ子と高嶋政宏(兄)がテレビ初共演しました。
高嶋ちさ子と高島兄弟は親戚関係(お互いはいとこ)ながら今まで一度も共演することがありませんでした。
なので、世間では不仲説が流れていましたが、実は仲良しだったんですね!
親同士が不仲であって、高嶋ちさ子と高嶋政伸は昔からの仲良し同士でした。
今回の記事では、高嶋ちさ子と高嶋政宏の親戚関係や不仲説の原因についてご紹介していきます。
高嶋ちさ子と高嶋政宏との関係は?
お互いのお父さんが兄弟です。
高嶋ちさ子の父親(高嶋弘之)は東芝EMIのディレクターを務めていた経歴があります。
上記の家系図を見ても、高島一家の家系には女優・俳優が多く、まさに芸能一家であることが分かりますね。
高島忠夫家族(高嶋政伸の方)は俳優一家、高島弘之家族(高嶋ちさ子の方)は音楽一家と言えますね。
※高島忠夫の長兄には1964年8月に生後5ヶ月で亡くなった高島道夫さんがいます。
なぜ今まで高嶋ちさ子と高嶋政宏は共演しなかった?
高嶋ちさ子と高嶋政伸がテレビ共演しなかったのは「不仲」が原因だと言われていました。
もともと高嶋ちさ子と高嶋政宏の実家は東京都世田谷区にありました。車で10分ほどの距離にあるご近所さんでした。
高嶋ちさ子も「家が近所だということで小さい頃はしょっちゅう遊びに行っていました。政宏くんと政伸くんともよく遊んだな」と1998年1月15日号のアサヒ芸能で語っています。
高嶋ちさ子がCDデビューした1995年には「高島忠夫の姪」「高島兄弟のいとこ」などと紹介されて、完全に高島家のブランド力を使っていました笑
高嶋ちさ子の父親は東芝EMIのディレクターだったので、父親のコネ・叔父のコネもあってCDデビューしたのかもしれないですね。
つまり、1995年頃は親族同士の交流もあったと考えられます。
しかし、本格的にヴァイオリニストとして世に出るようになったあたりから「高島忠夫の姪」などの紹介はおろか、親族関係であることも話さなくなりました。
お互いに親族関係ということも言わなくなったので、テレビ共演することもありませんでした。
なぜ高嶋ちさ子と高嶋兄弟に不仲説が流れたの?
お互いが親族関係である話をしないことも、テレビ共演しないことも不仲説が流れる原因でした。
そして、高島忠夫が亡くなったことで不仲説が再燃しました。
近年は高嶋ちさ子も高嶋政宏も自立して、自分の名前だけで食っていけるくらいに名前が売れています。
お互いに「いとこ」というブランドを使う必要もなかったので、親族関係であることや交流がなく不仲説があることも報道されなくなっていました。
高嶋ちさ子は高島忠夫の葬式に参列せず
不仲説が一気に再燃したのは、2019年6月に高島忠夫が逝去された際の高嶋ちさ子の対応にありました。
高島忠夫の葬式にも参列することはなく、弔問にも来なかったそうです。
また、高嶋ちさ子は親族ながらも公式なコメントは発表することはなく、公式ツイッターでも一切触れられませんでした。
新聞社やテレビ局の取材にも一切応じることはありませんでした。
このことが世間に「高島一家の不仲」を印象づけることとなりました。
もともと高島兄弟同士での不仲が囁かれていただけに、親族同士でも不仲だったのかと延焼してしまいましたね。
高嶋ちさ子の父親も参列せず
さらに、高島忠夫の兄であり、高嶋ちさ子の父親・高嶋弘之も葬式には参列しませんでした。
実の兄弟の葬儀に参列しないというのは、かなり根が深い問題に感じられますね。
実は高嶋ちさ子の母親が亡くなった際には、高島忠夫一家には何の連絡もしなかったそうです。
このことから高嶋ちさ子と高嶋政宏兄弟が不仲と言うよりも、親である高島忠夫と高嶋弘之同士の不仲で子ども同士の交流もなくなったと考えられます。
高島一家の不仲の原因は?
では、なぜ高嶋ちさ子家族と高嶋政宏家族が不仲になってしまったのでしょうか。
寿美花代の上から発言が不仲の原因?
高島忠夫と寿美花代は超がつくほどのお金持ち夫婦でした。
高嶋政宏の誕生日には約200万円をかけて自宅にピッチャーマウンドを設置して、プロ野球コーチが指導するという浮世離れした暮らしを送っていました。
そして、6歳の高嶋ちさ子がバイオリンを習うことになった際のことです。
寿美花代が高嶋弘之に対して「お金がかかるけど大丈夫なの?」と家計を気にするような発言があったそうです。
寿美花代の上から目線な発言に高嶋ちさ子の両親はカチンときてしまったと考えられます。
かなり昔にバラエティ番組などに出演していた時は、寿美花代は天然キャラとしてお茶の間で人気でした。
思ったことを後先考えずに言ってしまう性格のようで、根っからのお嬢様という感じに見えましたね。
当時の「お金がかかるけど大丈夫?」という発言も、もしかすると悪気があって言ったわけではないのかもしれません。
しかし、言われた側としては「貧乏だと思われているの?」と捉えても仕方がないですよね。
ただ、高嶋ちさ子がデビューした際に「高島忠夫の姪」「高島兄弟のいとこ」というフレーズを使っていたことを考えると、寿美花代の発言が交流断絶(不仲)のキッカケとは考えにくいです。
母親の介護方針で不仲になった
高島忠夫と高嶋弘之の母親がうつ病になった際の介護方針について口論になったことが、現在の不仲説の原因です。
高島忠夫が亡くなったあとに弟・高嶋弘之が女性自身のインタビューに答えました。
――それほど仲が良かった両家に距離が生じたのには、何かきっかけがあったのでしょうか?
「……きっかけといえば、母の介護問題かな。兵庫県で暮らしていた母が、うつ病になったので、’98年に東京の医療施設に入れたんです。
でもこのとき母の介護方針を巡って兄とひどい口論になってしまって……。兄貴は昔から穏やかだったから、兄弟げんかなんかもしたことがなかったのにね」
引用元:女性自身
実は、1998年は高島忠夫もうつ病を発症していました。
「振り返ってみて、彼も病気のせいで感情のコントロールができなかっただけなんだと理解できました。
でも兄の病気のことを知ると、今度は“治療の邪魔になってもいけないなぁ”なんて考えて、連絡もとれないし、訪ねていくこともできないし。
お互いの家族も行き来しなくなって、そうこうしているうちに、気がついてみたら20年以上もたってしまったんですね」
引用元:女性自身
高島忠夫の病気のことも考えて、連絡を取り合わなくなってしまって、疎遠になってしまった。
連絡を取らないことでお互いの家族も疎遠になっていったんですね。
もしかすると、決定的な不仲の原因があるわけではないのかもしれません。
疎遠になっていくうちに、我が家はこういうスタイルだからと「連絡を取らないことが普通」となったのかもしれません。
高島忠夫も高嶋弘之も昔気質でお互いに頑固になっていたのかもしれないですね。。。
〜追記〜
2019年8月22日放送の「シンソウ坂上」では高嶋ちさ子が以下のように話していました。
神戸に住んでいた高島忠夫と弘之の母親が東京で入院することになった際に、高嶋弘之(弟)の奥さん(薫子)が口利きをして病院の手配をしたそうです。
その直後に、高嶋ちさ子の兄である太郎が結婚します。
その結婚式に母親(ちさ子のおばあちゃん)を参加させたい高嶋弘之夫妻と高島忠夫で口論になってしまったそうです。
その後、仲直りに行こうかと思ったときには高島忠夫もうつ病になっているということで、寿美花代とも話し合い、しばらく会わないことになったそうです。
そのまま、あれよあれよといううちに時は過ぎ、20年近くも会わないようになってしまったそうです。
〜2019年8月22日追記終わり〜
高嶋ちさ子と高嶋政宏の今後は?
父親同士は関係が疎遠になって不仲と言われていましたが、子どもである高嶋ちさ子や高嶋政宏は不仲になる要素がありません。
高島忠夫が亡くなったあと、高嶋政宏から高嶋ちさ子に対して連絡があったようです。
「政宏から、うちのちさ子に連絡があったそうなんです。『父のことが落ち着いたら、叔父さんのところへもご挨拶に行きますから』なんて、言ってくれていたと聞いています」
引用元:女性自身
高嶋政宏からのアプローチがキッカケで両家の関係に雪解けの兆しが見られています。
高嶋ちさ子と高嶋政宏がテレビ初共演を果たしたことも大きな一歩ですよね。
歯に衣着せぬ発言で有名な高嶋ちさ子。SMマニアを公言する高嶋政宏。
ふたりとも、(世間一般からすると)なかなか変わり者なので、今後の復縁の流れも一気に加速するかもしれません。
ついでに高嶋政宏と高嶋政伸の不仲説も一蹴してほしいですけどね!笑